アーモンド&あれこれ第9回『アーモンド×ゴッホ』

 

言わずと知れた名画家“フィンセント・ファン・ゴッホ”。画家になるまでに多くの挫折を味わい、画家となっても懊悩する日々。それでも直向きに芸術と向き合い、命を燃やし続けた炎の画家、ゴッホ。今日は、ゴッホとアーモンドについてのお話です。

 

ゴッホは2人目の長男

ゴッホは1853年3月30日、牧師だった父テオドルス・ファン・ゴッホと母アンナの6人兄妹の長男として、オランダのズンデルトで生を受けました。しかし、実はゴッホには同じくフィンセントという名の兄がいたのです。残念ながら死産だったのですが、それもちょうど、ゴッホが生まれる1年前の、全く同じ日生まれの3月30日。死産だった兄と同じ名前、同じ誕生日だなんて、なんだか生まれたときから、ゴッホの壮絶な人生を暗示しているかのようなエピソードです…。

 

ゴッホが画家として生きたのはたったの10年間

1880年、ゴッホ27歳のとき、本格的に絵を描き、絵を学ぶようになりました。それまで、画商で働いたり、教師をしてみたり、伝道師となって貧しい人々の救いになりたいと考え神学の勉強に励み、そして挫折したり・・・。何をするにも長続きしなかったり、突然に人生の方向転換を行ったりと、まさに波乱万丈。彼の心の中は、きっと穏やかなるときなどなく、常に葛藤、様々なものに対する飢え、情熱的であることによるもどかしさがあったことでしょう。

1880年6月頃から、弟のテオは生涯ゴッホに生活費を仕送りし、彼の心と生活の支えとなり続けました。弟テオの存在がなければ、名画家ゴッホは存在していなかったかもしれませんね。ゴッホが10年間で残した作品は2000点以上にもなるのですが、生前にはたった1枚しか売れなかったと言われています。でも、諸説あるものの実際は数枚売れていたようです。いずれにせよ極貧生活には変わりありませんね

 

サン・レミ精神病院

自らの耳を削ぎ落としたり、近隣住民からの請願によって「画家」ではなく「精神異常者」として、周りから白い眼で見られるゴッホ、彼はアルルの市立病院に入退院を繰り返した後、ゴーギャンとの共同生活を送った画室「黄色い家」のあるアルルから20㎞程離れた、サン・レミ精神病院に入院することになります。1889年5月。ゴッホがこの世を去る約1年前のことです。

 

喜びと祝福のアーモンド

精神病院に入院している間も、ゴッホは病室の一室を画室として使用し、病室から見える景色や、病院の庭先を描きました。病状が良い方向に向かいつつも、忘れかけた頃に再び発作に見舞われるゴッホ。

病いと闘いながら、ゴッホはそれでも絵を描き続けます。己の精神の扉をいくつもいくつもこじ開けて、苦しみながらも前に前に進む彼に、大歓喜の一報が届きます。一番の理解者であり、ゴッホを支え続けてきた弟、テオに息子が産まれたとの知らせ。ゴッホにできる最高の祝福は絵を贈ることでした。

 

「花咲くアーモンドの木の枝」18902月油彩/キャンパス ゴッホ美術館

 

力強くのびのびと、可憐に咲き誇るアーモンドの花。ゴッホは、花咲くアーモンドの生命力をもって、輝かしい未来への希望を、愛するテオの息子への祝福を、懸命に伝えたのではないでしょうか。

この絵を完成させたわずか5か月後、ゴッホはわずか37歳でこの世を去ってしまいます。今のところ自殺説が有力ですが、ゴッホの死については諸説ありますね。

 

アーモンドが見た人生

今日は、ゴッホとアーモンドのお話でした。人々は、普段の生活においてたくさんのアーモンドに触れ、たくさんの花々に癒され、その景観に心打たれてきました。

それと同じように、たくさんの人々の人生を、情熱を、心を、アーモンドの木々たちは見届けてきたのですね。なんだかしんみりしてしまうお話でした。

 

 

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